私が、『調和道丹田呼吸法』と言う呼吸法にお世話になる切っ掛けは、突然陥った『会議恐怖症』(私が勝手につけた病名ですが)をなんとか克服し、普通に仕事を続けたかったからです。
私は、今から50数年前に一部上場の大手不動産会社に入社し、順調にサラリーマン人生を送っていましたが、54歳の時、関係会社の専務取締役として、かなり重い業務を張り切ってこなしていた時ですが、突然というか、極めて些細なことをきっかけに仕事を続けられそうもない非常に苦しい毎日を送る羽目に陥ってしまいました。
その時の状況をもう少し細かく説明します。
私は、小学校の頃から既に「あがり症」で、教室で立って教科書を読む時に心臓がドキドキしていたのを今でも覚えております。その一方で級長をやるなど、かなりの目だたがり屋さんでもありました。一口で言うと生真面目な努力家(自分で言うのも変ですが)タイプの人間。会社に入ってからも、「一生懸命さ」と「感謝の気持ち」を忘れないようにして、業務に精一杯取り組んできました。会社からも、それなりに評価されていたと自分では思っています。
さて、前述した関係会社での出来事ですが、場所は、年に二回ある会社の決算役員会。本社の社長や担当役員も複数出席する重要会議。総務担当役員の私にとっては謂わば晴れの場でもあります。
その日、役員会の準備をしていたが、老眼メガネを部屋に忘れてきたことに気づき、慌てて部下に直ぐ届けてくれる様に電話をしたが、行き違いがあり、届いたのが会議直前、報告を始めたところ、目の前の書類が右に左にグルグル大きく揺れ、自分の体が宙に浮かんだよう。生まれて初めての経験。心臓は早鐘のよう、冷汗をかきながら、説明を一部省略しながらやっとの思いで、なんとか最後まで説明を終えることができた。
確かにこれまでも、説明する最初のうちは緊張しドキドキすることはよくありましたが、こんなことは生まれて初めてでした。プレゼン能力は人並み以上であると自負してきたのに。
元々、高めの血圧で、心配症。そこに、「老眼が間に合わなかったらどうしようか」という極度の不安が重なり、かなり血圧が上がってしまった結果のようです。
それに、今、振り返ってみると、前任地でのストレス(リゾート会社の社長を任されていたが、バブル崩壊後、何をやっても業績が上がらず、会社経営には意欲はあったが、かなり悩んでいたこと。)、新任地でのストレス(山の中から大都会への異動、全く新しい業種、会社再建という経営課題、社長の経営姿勢とのずれ。特に、最後の社長とのコミュニケーションが段々とスムーズにいかなくなったことが、かなりストレスになっていた。)、このストレスが積もり積もっていたことが本当の原因ではなかったかと思っています。
私にとって深刻であったのは、この出来事以降大きな会議になると決まって同じ症状が起きるようになってしまったことです。
会社の診療所の先生にご相談したところ、先ずは、30分おきに自動的に計測できる血圧計を背広の下にセットし、会議中の血圧を測ることになった。社内の打ち合わせ会議でも、なんと、血圧は200をはるか超え、脈拍数も120をはるか超えていました。
診療所の先生に、どうしたらよろしいか伺ったところ、「気を楽にするしかない。血圧を下げる薬は、こういう場合(緊張で血圧が一気に上がる場合)には全く効果がない。「話し方教室」や「ヨガ教室」に通ってトレーニングでもしたらどうか。また、君が会議中、万が一倒れた場合に備えて、代役を用意しておいたら気が楽になるので、効果があるかも。」というようなご診断(?)であった。
早速、藁をもつかむ気持ちで「話し方教室」に通いましたが、講師の方からは、「何故あなたはここに来たのですか?あなたの話し方は模範的です。」とお墨付きを頂くありさま。10回ぐらいは通いましたが、成果が見られず、止めてしまいました。
そこで、「ヨガ教室(カルチャーセンター)」に、会社の帰りに半年ぐらい通ってみましたが、さっぱり変化がみられないので、これも途中で諦めてしまいました。(ヨガに対する私の取り組みが不十分だったのかもしれませんが)
どうしたら良いか焦るばかり。不安が募る日々が続きました。
1年後に本社の部長に昇進してからは、さらに状況が悪くなり、部内の定例の小さな会議でも冷汗が出て、心臓は大きくドキドキ、目の前の書類が大きく揺れるありさま。又、会社内の重要な会議に出席しているときに、自分の出番が何もないのにただ聞いているだけで具合が悪くなるありさま。
すっかり自信をなくし、妻に相談しました。「こんな状況なら部長職は務まらない。会社を辞めることになってもいいか」と。妻はあっさりと、「ここまで頑張ったし、歳も55歳。会議中に倒れてしまったらそれこそ大変。も―いいじゃない」という拍子抜けの返事。
急に気が楽になった(イクジナシ!。ナサケナイ!大の男が!なんて言われなくて)。
そこで、「管理職を降りてもいいから、会社でもうひと踏ん張り頑張ってみるか」と思いなおした。そして、本屋さんに行って、何か良い治療法等がないか、何か良い方法がないか、もう一度真剣に探してみた。
フト、目に留まったのが社団法人調和道協会二代目会長で、医学博士の村木弘昌氏の「健心・健体呼吸法」「丹田呼吸法」という二冊の本。
読んでいるうちに、この呼吸法は私を助けてくれると確信してしまいました。
村木先生は小さい頃から大変お体が弱かったが、それを、この呼吸法で完全に克服されたこと。先生の医学の視点から科学的に大変分かりやすく呼吸法というものを解説してあったこと。それに、文中を通して、「呼吸法で病を克服しよう・社会にお役に立とう」と言う先生のほとばしるような情熱を感じたことです。
私は、早速、毎週1回、会社が休みの土曜日に日暮里の本部道場に通って、香川先生から、呼吸法(Aコース)をご指導頂きました。家では、毎日、朝起きた時と就寝前に各30分ほど、教えられたことを無我夢中で反復繰り返しました。
気がつけば、半年ぐらいで、会議で、目の前の書類が右に左に大きく揺れ動くような全く現象がなくなりました(又なるのではないかと言う不安と緊張で、心臓は未だドキドキはしていましたが)。本当に夢のようでした。感謝の気持ちで一杯でした。
それから、更に実習を重ねていた或る時に、大きな会議の場で、「緊張してきたなー」と感じた時に、思い切って鼻から息を漏らしながら下腹部・丹田にムムッと力を入れたところ、不思議、ウソの様に落ち着いてお話しできるようになりました。
緊張は今でも少しはします。多分、私には緊張というものは一生なくならないと思っています。でも、この呼吸法のお陰で、緊張してきても、お腹・丹田にムムッと力を入れると、どんなに大きな会議でも、また数百名の社員の前でも、落ち着いてお話をすることができるようになりました。あのグルグル目が回る、不安感・恐怖心が消えました。
丹田・下腹部に力を入れることについて、もう少し細かく説明をします。
指導者から、「緊張しそうになったら、お腹に力を入れなさい」とアドバイスをいただいておりましたが、緊張してお話をしているときに、丹田に力を入れるには、私にはかなり、勇気がいりました。それは、緊張しているときに、変に力を入れると、「努責」と言って、頭にまで力が入ってしまい、血が頭に益々上ってしまうのではないかとと言う恐れ、心配があったからです。また、そもそも力を入れようという余裕が全くなかったです。
或る時、いつも行っている呼吸法の要領で、息を鼻から軽く吐きながら、思い切ってお腹にムムッと力を入れました。結果は、心臓のドキドキがなくなりました。ウソのように落ち着きました。
夢中で一生懸命呼吸法に取り組んで来たので、その時は、上腹部がかなり柔凹になってきたためだと思います。上半身の力がうまく抜けるようになってきたためだと思います。そのために下腹部・丹田に曲がりなりにも力を無理なくかけられたと思います。丹田に力がみなぎると、重心が下がり、まさに「肚ができてきた」のだと思います。
努責の不安、心配を解消するには、上腹部を徹底的に柔軟にすること(上虚)が不可欠であり、そのためには実習の継続あるのみだとその時に心底思いました。正しいやりかたで、熱心にトレーニングを続ければいつかは必ず効果が出てくると確信しました。
「上虚があって、下実あり」
調和道呼吸法に出会って20年以上になりました。最初の3年半は本部道場にほぼ毎週通いました。また、年2回の宿泊研修会にも参加しました。しかし、その後、岡山県内の老舗ホテル会社への出向があり、以降は、自宅だけで生活の日課のように朝・晩実習を続けました。呼吸法は、私の生活そのものになりました。
以上申し上げましたとおり、私が呼吸法に取り組むことになった切っ掛けは、大きな会議での極度の緊張症の克服でしたが、この呼吸法を通じて、その他に幾つか改善したことがありますので、ご参考までに以下に列挙します。(専門的に説明することは勿論できませんが、私の実感としての改善です。呼吸法を継続する中で、徐々に徐々に身心の緊張が緩められてきた為ではないかと私は考えておりますが。)
●閉所恐怖症(?)が克服できたこと。
入社当時にスキーの夜行バスをよく利用したが、乗車中に夜中に目が覚めた時、狭さに恐怖を感じバスから降りたくなったり、会社の代表として各種の神事に参加することがよくあったが、神事の最中、冷や汗が出てきて身体がぐらぐらし、この場から逃げ出したくなったり、コンサートで演奏が始まるや緊張して心臓がドキドキし、会場の外に出たくなったりしたことがあった。又、電車通勤中に事故で電車に閉じ込められそになったことが何度もあるが、長時間続くと思った途端に気持ちが悪くなったこともあった。
狭いところから外へ出られないと思うと心臓がドキドキ、冷や汗が出てくるという症状、恐らく閉所恐怖症だと思うが、これもお陰様で呼吸法を実修するうちに徐々に気にならなくなりました。
又、閉所恐怖症とは違うかもしれませんが、以前より、飛行機に乗って上昇時と下降時に物凄く緊張し心臓がどきどきすることがあったが、今は全く平気になりました。
●血圧が安定してきたこと。
40歳前後から薬を飲むかどうかのギリギリの血圧であったが、呼吸法に取り組んでいるうちに徐々に血圧が安定してきました。一般的に血圧は、仕事中はストレスのために高くなる と言われておりますが、呼吸法を始めた最初の頃は、会社で血圧が高くなっているように感じたときは、トイレ(大便器の方)に入り、『小波浪』という長く吐く呼吸法(長息)を5分ぐらい行いました。かなり落ち着いた気分になり血圧も下がったように感じました。呼吸法を継続する中で、徐々に安定し、今は、リタイア―してストレスが無くなったこともありますが、健康診断で血圧が引っ掛かることはなくなりました。
●過敏性腸症候群の症状が40歳ぐらいの時からありました。ガスが内臓(大腸)に貯まりやすく、お腹 のあちこちが痛くなったり、下痢に近い便が当たり前のようでした。特に困ったことは、電車で通勤中にたまに、お腹が痛くなりトイレに行きたくなった事です。
過敏性腸症候群の症状も今では全く気にならなくなりました。たまに便秘になる場合もありましたが、息法の『大振息』を行うと、スムースに排便ができるようになり、概ね快適です。
私は今でもよくオナラが出て妻のひんしゅくを買っていますが、呼吸法をよくやるからお腹のガスを外へ出すことができると前向きに考えています。
●寝つきは悪い方ではなかったが、就寝前に呼吸法(初級)を毎日行うようになってからは、スーッと眠ることができるようになりました。
就寝前にいつもの呼吸法を行えなかった時には、寝床の中で、腹式呼吸 (下腹部を凹ませながら息を長く吐く。)を5〜10回ぐらいゆったりと行ったり、『全身操作』という呼吸体操の頭・首・喉の個所をゆっくり行うようにしていました。
夜中に目が覚めた時には、『小波浪息』をお布団の中で5分ほど静かに行いました。眠りたいという気持ちは一切忘れて、ひたすら呼吸法に集中し、終わったら自分の眠りやすい姿勢(私は左を下にした横向き:元来、腰が悪いので)をとれば、自然と眠りにつけました。
今は、歳のためか一晩に1回は必ずのようにトイレに起きますがこの習慣を続けています。
●仕事で大きなストレスや心配事があったりした場合、中々寝付かれなかったり、夜中に何度も目が覚めてしまうことがありました。その場合はいったん寝室を出て、長く息を吐く波浪息2段や小波浪息、或いは完全息を照明をつけないで静かに20分間ぐらい行うようにしました。
そして、自分の眠りやすい姿勢で横になれば、知らぬ間に眠ることができました。寝付くのに時間がかかったことはありましたが、眠ることはできました。
●呼吸法でお腹の力が付いたのか、声が良く通るようになりました。カラオケも以前より声が出るように感じています。(無理に大きな声を出さなくても。)
●風邪を小さい頃から年がら年中ひいていましたが、たまにしかひかなくなり、ひいても直ぐに治るようになりました。風邪薬は余程のことがない限り飲まないようになりました。
●痔 30代半ばに手術し、以降も専門医のお世話になっていましたが、8年ぐらい前からほとんど苦にならなくなりました。理由は、大腸の調子が良くなり、大便の状態がよくなったためだと思います。体温が上がってきたことも関係あるのかもしれません。
●冷え性
平成25年あたりより、やっと改善されました。
呼吸法は「冷え性」に効果がありますが、私の場合、小さいころからかなり重症な冷え性でした。
原因は、恐らくは、私は、小さい時から虚弱体質で、風邪を年がら年中ひいており、薬・お医者様が大好きで、10年ぐらい前までは消炎鎮痛剤等のお薬を多用したためではないかと考えております。恥ずかしいお話ですが、一寸熱が上がっただけで直ぐ医者に行き薬を飲んでいました。
冷え性克服のため、呼吸法だけでなく、風邪薬は原則飲まないこと、身体を冷やす飲食物は出来るだけ避けること、ウオーキングや軽い筋トレ等で筋肉を鍛えること、その他、入浴の仕方や腹巻など総合的に取り組みました。
お陰様で、昔は35度台の体温が今では、36度3分前後になっています。
皆さんも、私のように、折角よいことをやりながら一方ではマイナスになるようなことを気がつかないで行っていることがあるかもしれません。再点検されてはいかがでしょうか。
一方、呼吸法でも解決できないものがあります。現在、お医者様にお世話になっているのは、花粉症、腰痛、それに皮膚病です。
●花粉症 私はまだ花粉症の言葉が一般的でない頃の20代終わりから花粉症に悩んでいました。本を見ると、花粉症は副交感神経過剰優位が原因の由。自律神経のバランスが得られるように、呼吸法に熱心に取り組んでいるつもりですが、それほど改善されません。仙台に10年前に移住して自然環境が良くなったことも一因のような気がしております。
中学時代から副鼻腔炎で鼻の調子(鼻づまり・嗅覚障害)がよくなかったが、知人から伺って鼻を洗浄する器具を半年前に購入したところ、随分、鼻の調子がよくなって花粉症の症状も緩和されました。嗅覚も元に戻り、食べ物飲み物が美味しくなりました。
●腰痛 結婚前からすでに腰痛もち。かなりのキャリアです。この呼吸法の大振息は脊柱を左右に振動させ、健全にしてくれますが、腰痛の時は行わないようにしています。柔軟体操(操体法)・ウオーキング・腰痛体操(ストレッチ、筋トレ)などで現状維持を心がけています。
●口呼吸 上咽頭は重要な免疫機能を果たしているといわれているが、口呼吸を行うとこの機能が弱くなってしまうので正しい鼻呼吸に直さなくてはいけない。私は、中学校時代より、副鼻腔炎、鼻中隔湾曲症で耳鼻科に通っていたが、その為、鼻の通りが悪く口呼吸が常態化していました。いつも、喉がヒリヒリしており、風邪もひきやすかったです。
この口呼吸は残念ながら呼吸法では改善されませんでした。
今は、鼻のうがい、あいうえべ体操、たまの就寝時の口テープにより大分改善されてきました。
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私の場合は、お医者様から具体的に言われたことはないのでよく分かりませんが、元来、「自律神経失調症」気味であった上に、一つの出来事を切っ掛けに「パニック障害」に陥ったのかもしれません。
性格上、ストレスに対する反応が過敏、過剰すぎるためかもしれません。又、小さいころから、虚弱体質でお医者様には本当にお世話になってきました。
丹田呼吸法を通じて、『会議恐怖症』を克服し、そのほかの症状も徐々に改善されていく中で、65歳まで41年間ものサラリーマン生活をギブアップせず勤め上げることができ、無事卒業することができました。
最後の6年間は、二つの関連会社の取締役社長を任されました。うち一つの会社での仕事は精神的にかなりハードな難しい仕事でしたが、倒れることなく、役割をほぼ100%全うすることができたと思っております。
もし、調和道丹田呼吸法との出会いがなかったら、このようなことは、絶対ありえなかったと思っています。この出会い・縁に、心からただただ感謝いたしております。
会社卒業後の第二の人生、生ある限り調和道丹田呼吸法に真摯に取り組んで参りたいと思っております。
先ずは、自分自身の心身の健康の為に、そして自分自身の人生を心豊かなものにする為に。
そして、この素晴らしい健康法を沢山の方々に知っていただき、心身共健康になっていただく為に。
「自利他利」の精神で、息長く。
丹田呼吸法の普及活動につきましては、リタイアー後、終の棲家を仙台市に構えましたので、仙台市を始め宮城県、さらには欲張って近県の皆様とご一緒にこの呼吸法を実践させて頂きたいと念じております。
果たして私にどこまでできるか自信はありませんが、情熱だけはあります。自分自身をもっともっと磨き、一歩一歩歩んでいきたいと考えております。
【インフォメーション】
@、「丹田呼吸いきいき健康サークル」を平成20年秋に仙台市郊外で立ち上げました。是非、お出かけ下さい。
A 平成21年2月に、社団法人調和道協会会長の日野原重明医学博士より、指導員の委嘱を受けました。
B、 平成29年5月、同協会の理事を定年規程で退任しました。
C、平成30年5月20日、同協会の社員定時総会にて解散の件が承認され、10月22日付内閣府より公示され解散となりました。
その後、同協会の精神を引き継ぎ、指導員の実修・育成を中心の目的としてNPO法人丹田呼吸法普及会が活動開始し、私もその会員となりました。
又、指導員の資格認定など担う「調和道丹田呼吸法保存会」より師範代の認定を受けました。
D、 最後に、ご質問、ご意見がございましたら、ご遠慮なく私のメールアドレスkokyuhou@jcom.home.ne.jpまでどうぞ。未だまだ未熟で、答えられないことも多々あるとは思いますが。
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